ハバロフスク Khabarovsk
シベリア抑留の悲劇
アムール川と極東最大、伝統と風格の「インツーリストホテル」
第2次大後、満州にて捕虜となった日本軍兵士たちは次々とシベリアへ送られ、約64万人もの旧日本兵が抑留されたと伝えられる。そのうち、6~10万人の兵士がシベリアの土となったといわれる。空港からハバロフスク市内へ向かう途中に大きな墓地があり、その中にはシベリア抑留によって亡くなった日本軍の兵士が眠っています。 日本人墓地には墓と墓参団の建てた慰霊碑があります。また、アムール河畔にある『文化と休息の公園』には極東美術館、郷土史博物館、展望台などがあり、ハバロフスク市民の憩いの場となっているが、この公園の整備作業には日本人抑留者が労働力として関わりました。 展望台からはまるで海のように広大なアムール川の眺望が広がります。整備に携わった日本の兵士たちはこの景色を眺めて何を思ったのでしょう…。